春、追い風に乗せて君を思う。
来年の春には部長は俺たちの部長ではなくなる。
2年半前に青学に入学してきた時みたいに1年生に戻る。
そしたら俺は2年になって、海堂新部長や桃先輩は3年になる。
それが普通のことなのに、俺は何故、こんなに悲しいのだろう。
「桃城武、今日からこの青学テニス部の副部長になった、ヨロシクな」
「海堂薫、俺は今日から部長になる。
手塚部長ばりに強いとは言えないが、
来年も全国大会で優勝を目指す」
全国大会が終わってから数日で海堂先輩と桃先輩の
部長と副部長としての挨拶があった。
そして3年生の姿はグラウンドのどの場所にもなかった。
目を瞑れば瞼にははっきりと3年の先輩たちの姿が映し出されるのに
今の俺の目の前にはそんな姿は映らなかった。
「副部長はお前がやるべきだったんじゃねぇーのか、越前。
去年の副部長は手塚先輩だぜ?」
「俺にそういうのは向いてないっす。
それに海堂先輩と俺じゃ何にも指示ださない管理職になっちゃうし」
「そうだな、俺もそれは心配だ」
今年の冬は間違いなくダブルスに穴が出来ている。
ゴールデンペアの引退、海堂先輩のパートナーの乾先輩もいない。
俺はダブルスは素人以下と言っても良いほどのレベルだ。
桃先輩はそれなりにダブルスも出来るみたいだけど、
3年の引退した後では実力的にシングルスになることが確定されてしまう。
荒井先輩ともう1人・・・名前は分からないけど、あの2人なら
ダブルス要因になると海堂先輩が言っていた。
俺に嫌がらせしてきた割には練習をしっかりやっていた事は知っていたし、
最近は3年がいなくなった所為か何かと話すようになってきていた。
荒井先輩曰く、
「1年が入ってきて2年を虐めていたら、3年の面目丸つぶれだからな」
だそうだ。
俺を虐めていた時も同じようなこと言っていた気がするんだけれど。
それから林先輩。
2回目のランキング選でレギュラーから
1ゲームを取るという快挙を成し遂げたのはこの人だけだった。
この人も荒井先輩たちと一緒にいたけれど、その後は他の人たちと練習していた。
中々の腕前だし、ダブルスもシングルスもいけそうだった。
俺はとぼとぼとそんな考え事をしながら部室に向かった。
何故か練習しに来たのにラケットを忘れていたからだ。
荒井先輩が部室にある、予備のラケットを使ってもいいと言っていたから
俺はそれを取りに向かっている。
俺は荒井先輩に「ガッドの緩いのは嫌っす」と言うと
他の奴もあるからと怒鳴られた。
荒井先輩もあのことは忘れたいらしい。
部室に入ると見たことのあるラケットがベンチに置いてあった。
手塚部長の使っていた物に似ている。
同じMIZUNOだし、PRO LIGHT S90という文字も
手塚部長の私物であることを示している。
「何でこんなところに部長の私物が・・・」
「それは部長が俺たちにと置いていった。
予備のラケットが必要になった時に困らないようにと」
海堂先輩が部室で部誌を書いていた。
前は大石福部長が書いていた物だが、何故か部長の海堂先輩が書いている。
「これか?
さっき桃城の野郎が俺に渡してったんだよ。
『俺はそういうの苦手だから、お前が書け』ってな」
「桃先輩はそういうの苦手だから。
でも海堂先輩も後輩に声掛けるの苦手でしょ?
役割分担できてていいじゃないすか」
そう言うと海堂先輩は大きく頷いた。
海堂先輩も自分の苦手を分かっていたらしく
内心安心したようだ。
「ところで越前、お前は練習に戻らなくっていいのか?
ラケットを取りに来たんだろ?」
「あぁ、行ってきます」
俺の手には手塚部長のラケットが握られていた。
部長のラケットに触れてみたいと思ったことが一度だけあった。
部長の得意なドロップショット、零式じゃなくっても
あの体制で撃てることに俺は驚いた。
派手なテニスではないけれど、基本に忠実だ。
手塚ゾーンとか、あれはうちの親父も出来たけれど
俺には無理だった。
だから部長のラケットには仕掛けがあるんじゃないかと思って
触ってみたかった。
ラケットは俺が持っている物よりも少しだけ重かった。
オールラウンダーの物だからそんなに違いは無いけれど、
ガットの張り具合とかは違う。
自分の手に合っていないラケットを持つのは何年ぶりだろうか。
「手塚部長が言ってた柱」
俺はコートに入る前に学校の裏庭にあるポールでウォーミングアップを
することにした。
怖い3年の部長は引退したし、
今日は土曜日で休校だから怒られる心配はなかった。
「このラケットで何回続くのかな?
柱にぶつけて・・・。」
部長は強い、結局俺はあの人に勝てなかった。
俺を負かした親父以外の相手。
しかも俺と2つしか違わない男。
「・・・強いね、アンタ」
コーンと言う音と共にわずかに右にそれてボールは空高く舞い上がった。
俺のミスだった。
「越前・・・」
「俺、アンタを止めてみせるから」
俺は部長の気配を察知した。
「お前が中々戻って来ないと海堂が嘆いていたぞ」
アンタを思う俺、それでも俺は上に行きたい。
それが俺の目標だから。
高校生になった部長はきっと、今の俺のような存在になるのだろう。
「先輩、俺ってアンタを負かせるためにテニスしてるんだと思うよ
それが目標、あんたが居なくなったコートなんか考えられないから。
待っていてよ、俺がアンタと同じコートに立てる日まで」
半年後、選抜大会はベスト13と振るわなかったけれど
大石先輩は喜んでくれた。
たぶん、この人が一番、自分が去った部を心配していたのだろう。
「先輩、俺たちの時代の始まりですから」
そう海堂先輩は大石先輩に伝えると大石先輩は涙を流した。
先輩たちが高等部に入学してから半年、また全国大会の季節がやってきた。
俺は手塚部長のラケットで戦う。
それは只の願賭けでは無く・・・。
春、追い風に乗せて君を思う。
ただそれだけのこと・・・・。